115錠26種のサプリを飲み続けたら腸管穿孔で入院した。後遺症も残った。

「そんな生活で良いの?」
良くはなかったのだが、
「血液検査に問題はない」「PFCバランスの上で食事している(好き勝手な献立でも)」
と返すと、踏み込んで異を唱える者は居なかった。安易にサプリメントを非難する者は、食欲――本能に背いているようで、忌避されると言う以外の理由を見いだせないのだろう。


某月某日(日)。あるイベントに行った帰り、某店で魚の煮付け定食を食べ、その後に別店でシュークリーム3個をも食べ、夕食後のサプリメント31錠11種までも飲む。決まって2時間後には、自宅で夕食食間の12錠7種をも飲む。それだけなら、ルーティンのような物に相違ないのだが、腹部には違和感が生じていた。痛むのだ。……まあ、寝れば治るだろう。そう思案して数時間後、とどめに就寝前サプリ14錠8種を飲んだ後に就寝する。

翌日。13錠8種の起床時の食間サプリを飲み、作業らしき物を始める。そして昼食でカップ春雨とミニ芋ようかんと生卵を食べ、当たり前のように昼食後サプリ32錠12種を飲む。さあ、作業を再開しよう……ッ!?

のたうち回るような、ひどい痛みが左腹部を襲う。寝込む。痛い。起きる。痛い。常に痛い。感情も、神経も、痛みに占められている。呼吸すらも、痛みに阻害される。まだまだやまない。じっくり、じっくり、全身をむしばみ続ける。これは、救急車を呼ばないとダメなんじゃないか……? いや、だけど、我慢できる。ああ、横になるのが楽だ。寝てしまおう。

寝たのは、そういった苦悩の中であったが、起きるとある程度は楽だった。もちろん時間なので、決まって13錠8種の食間サプリも飲む。苦しいが、生きているフリを続け、夕食は大粒チョコレート20粒に和菓子等を食べ、また当たり前のように31錠11種を飲んだ後、便を済ます。2時間後に12錠7種も飲む。痛みは綱渡り的だが、昼ほどでもない。

そして悠長に就寝前サプリ14錠8種を飲み、恨み言のようなツイートをして就寝したのだった。

また翌日。痛みは、昨日と比べればなんて事もない。回復しているのだろう。昼食後にちょっとした痛みはあったが、昨日ほどではない。回復しているのだろう。だけど、ズルズルと痛みをおんぶしたまま、低能率で過ごしている。食中毒は自然治癒するらしいが、これは自然治癒なんぞアテにしていたら、何日も低能率が続くぞ。近所の胃腸科内科に電話しようと、思い立ったのが夕方だった。

「本日は○○時までとなっておりますが……?」
出たのは女性の声で、なぜかホームページ上の表記より、1時間早く終わるのだと言い出す。
「……左腹部が食後に痛くて……昨日から……」
「……では、確認して参りますので、お待ちください」
……♪ そうして、1分ほど保留音が鳴る。
「すいません、本日は難しいみたいです」
「……はい、分かりました。それでは……、失礼します……」

無理だとかわされた上、他の内科ももうしまいのようだった。まあ、それなら明日でもいいと、夕食に大粒チョコレート16粒に手を出す。腹部に痛みがやってくる。だが、この日の俺は、浴槽でシャワーのお湯を腹部に当てて暖めるという秘技を身に付けていた。これで、昼は乗り切れたし、今ある腹痛も引きつつある。さて、糖質摂取のために和菓子を食べ、栄養食に生卵やプロテイン等を飲み、31錠11種を飲もう。

30分後に来たのは、昨日以上の痛みだった。なぜか、食べた水分と固形物が通る感覚が繊細に分かり、左腹部を通過した瞬間、内部から鋭く、腹部内臓が強烈にえぐられるような感覚が何回も続き、全身がもだえる。トイレに駆け込むが、何も起こらない。シャワーを当てるが、何も起こらない。寝ても、起きても、何も起こらない。通過はとうに終えている。ずっと、全身に末広がりして痛いままだ。同居人が居れば、これはまず救急車が呼ばれて相違ないような、慌ただしさだっただろう。だが誰も居ない。第三者の目はない。俺には目の前の痛さを抑える事しかできない。

フラフラとバスタオルで全身を拭い、全裸のまま暖房の効いた自室就寝場所へ移動すると、バスタオルと毛布をかぶり、いったんは横になる事に成功する。着替える余裕なんてない。腹痛はやまないが、それでも四肢は楽だ。絶えない腹痛はあるが、それでも四肢は浮遊しているのだ。痛い。ずっとつけている公共放送では大谷翔平がなんだの、栗山英樹がなんだのが絶えない。今は煩わしいのだが、映像を消すために身体を起こす方が危ない。異常だ。

数時間後に流れていたのはテニス中継で、一定テンポの打球音に、細切れにやってくる歓声と、アナウンサーの優しい声が、どことなく心地良い。睡眠導入BGMのようで、脳波はリラックスしていく。しかしえぐるような腹痛は絶える事はない。

その後も公共放送の静かなトーンの中で、横になりつつ、就寝場所付近で脱いでた服に、もだえながら着替えたり、バスタオルを脇に置く他、近くのリモコンに手を伸ばして部屋を暗くしたりする。しかし、放送を消すには起き上がって、数歩歩かなければダメなのだ。無理なのだ。同居人は居ないのだ。

痛い。髪はぬれたままで枕は惨めな事になっているし、バスタオルはジメジメ陰気を発している。極めつけは、やはり左腹部が痛いという事。こんなにも、何時間も、痛みが絶えなかった事は今までになかった。痛い。腹にはクギが刺され、固定されているようだ。痛覚は決して、俺から離れようとしない。

そんな具合で寝付けたのか曖昧な中、朝5時30分を迎える。数時間後には、胃腸科内科が開く。そろそろ起きよう。意を決して身体を起こすが、腹痛は生易しい物ではなく、グッと存在感をあらわにし、その腹痛でグッと肩を押さえつけるのだ。

(無理だ……起きられない……救急車は……数歩歩かないと呼べない……)
なぜ、昨日電話した胃腸科内科は1時間早く終わったのだろう。あそこが、絶好のタイミングだったのは間違いない。なぜだ。俺が、余裕を持って電話するべきだったのだろうか。助けてくれ。

(痛い……起きる……痛い……起きる……)
ジワジワ30分で決意させ、ジワジワ起き上がる。左腹部はジワジワ痛む。ジワジワ歩ける。ジワジワ痛む。それでも陰気なバスタオルを洗濯機前に退避させ、風呂水を抜く。なんだか、家全体が陰気だ。

(痛い……座る……)
痛みを抱えたまま、椅子に座ってパソコンを操作する。ひとまずは公共放送を消す。静寂と安寧が訪れるが、それでは腹痛の機嫌はおさまらない。煩わしくない程度にボリュームを絞り、民間放送の朝のニュース番組をBGMで流す事にする。腹痛は続く。

「本日の営業は終了しました」
診療時間は数時間先だったが、わらにもすがる思いで胃腸科内科に電話をする。当然出るはずがない。しかしなんだか、あらゆる時間帯を想定しない録画音声というのは不安極まりない。もしかして、本当に今日はやっていないのではないか。ならば、どうすればいいのだ。他にも内科はあるが少し距離がある上、Googleのクチコミのデータ数・点数も不安極まりない。この意味不明な腹痛に対する解決法は見いだせるのだろうか。どうして本当に、昨日やっていなかったのだろう。どうして本当に、こんなに腹痛がひどくなってしまったのだろうか。なんだか、家が家でないように感じる。

それでもようやく、座った体制を維持していて腹痛は安定していくが、一身でボディーブローを受け続けているようだ。昨日のえぐられる腹痛以降、口には何も入れてないので、意識もどことなくぼやけている。早く診療時間になれ……早く診療時間になれ……そう思いながら、パソコンで作業のような物をやっていく。今までで一番低能率だが、他には何もできない。医療においては無能なのだ。

「本日の営業は終了しました」
診療時間30分前になっても、いまだにつながる事はない。そんな事はない。ホームページでも今日はやっている日なのだ。助けてくれ。

「本日はどうされましたか?」
15分前に再び掛けると、ようやく担当女性へつながる。
「……左腹部が痛くて……本当に……食後に……何度も……何度も……救急車を呼ぼうかと思いました……」
消え入るような声で、恨み言のような八つ当たりをする。彼女は、昨日電話した女性とは別人だろうが、この痛みを誰かにぶつけたかったのだ。

「……1台お願いします…………」
既に病院には、来院する旨を伝えて電話を終えていて、タクシー会社へ配車の電話をする。病院は、普段だったら自転車で行くような距離だが、よもや満足に歩けやしない。平常時にフルマラソンを要求されるよりもずっとつらい。部屋着から外着に着替える事すら、痛さに支配されておっくうだが、それでもトップスを脱ぐ。腕と腰を動かした事で、腹部への連動運動で痛みが伝わる。耐え忍んでボトムスも、足と腰を動かして脱ごうとするが、下半身の運動はより腹部が動くのか、こっちの方が痛い。インナーを脱いでからのクローゼットのある部屋への移動は、もっと痛い。クローゼット前で腰を曲げ、服を取り出そうとする所作も痛い。何をするにも、痛さがストーカーのように付きまとう。うざったい。

「はい、到着でございます。よろしくお願いします」
スマホへ、タクシー運転手から到着の電話が訪れる。ようやく腹痛治療へのロードマップが描かれたが、感情は痛みで全てが占められていて、動くのも苦痛だ。ズリズリ……引きずるように歩いて玄関のドアを開ける。ああ、痛い。こんなに苦痛なら介護タクシー――救急車でも呼ぶべきだったか。引きずるようにして、マンションのエントランス階段を数十段下りる。下りる。下りて、ペンギンのようなヨチヨチ歩きでタクシーへと向かう。運転手は、こいつは何をしているんだろうと言いたげな表情をしているが、構いもせずタクシーへ入って、座席へ腰掛ける。そしてくじくような痛みが、腹部を襲う。

「……○○胃腸科内科までお願いします」
「○○胃腸科内科ですね? 分かりました」
それだけ弱々しく伝えると、運転手は真っすぐ前を見据えて車を発進させる。車の振動は、決して腹部に優しくない。その旨を運転手に伝えようかと思ったが、かと言って到着が遅れ、痛みが遅延していくのもつらい。……そもそも、言って解消される問題なのだろうかと、そんな事を自問自答しながらも、痛みが肥大する中、タクシーは胃腸科内科に到着したのだった。

病院は小さなたたずまいで、自動ドアの内側には、次のような張り紙がある。
「院長が会議出席のため、某月某日の診療は某時までと、させていただきます」
それで、1時間早く終わったのか。それは、医療の発展に必要な事には相違ないだろうが、どうにも俺の中で煮え切らないのは、なぜだろうか。

中に入ると、診療時間になってから15分しかたっていないのに、待合室には10人ほどが居た。そのまま窓口の女性に保険証を差し出して数度やり取りを交わし、症状を尋ねられ、「食後に腹痛がひどいんです……何度も救急車を呼ぼうかと思いました……」と訴えかけると、体温計で熱を測るように指示されるので、待合室の椅子に、痛い思いをしながら腰を曲げて座る。体温計を脇に挟む。腕が動いて痛い……ああ、痛い……。…………体温計が鳴ったので、それを取り出す。痛いが、何よりも熱が38度を越えていた事に驚く。一体何なんだこれは、インフルエンザがここまでの腹痛を引き起こすのだろうか等と思いながら、それを返すために立つ。痛い。そしてまた座って待つように言われる……座って腹痛がジワジワとむしばみ続ける中、一心に痛みが安定化するのを俺は待ち続ける。待合室の脇のテレビでは公共放送が流れていて、昨日の寝付けなかった時間の事を彷彿とさせる。やっている内容が料理講座なのも、疑似的に食事を行ったようで腹痛に拍車がかかる。さらにまるで関心のない体操や、カラオケ講座である事も、途方もない倦怠と痛みに襲われる。そんな時間が1時間を過ぎても俺の名が呼ばれる事はなく、まるで俺の精神は待合室と一体になったようだ。他の連中は、どうしてわざわざ専門的な胃腸科内科にまで来たのだろうか。順番を代われるなら、代わってくれないだろうか。待合室とは、こんなにも苦悩を感じる場所であったのだろうか。

「(sinnsi)さん、どうぞ?」
2時間は掛かったか、掛かっていないかぐらいで、ようやく名前が呼ばれるのだが、腹痛でわずか数十メートルの診察室への道が非常に遠く感じる。それでも、何とか椅子から立ち上がり、診察室へと入ったのだった。

「あぁ……痛い……痛い痛い痛い痛いぃぃぃ…………」
中年期前期の先生との「何か飲んでいる薬はあるか?」「漢方とサプリメントぐらいしか飲んでいない」等の種々の問診を経て、ベッドに横になるように指示されるが、もはや悲鳴を抑えきれない。
「えらいお腹張ってるけど……」
触診を受けながら、そんな事を言われるが、そんな自覚症状はまるでなかった。どうしてこうなったのだろうか、比較的症状が穏やかだった昨日であれば、張っていなかったのではないだろうか。

「腸閉塞のような気はするけど、手術歴とかないんだよねぇ……?」
よく分からないまま、診察室奥の付属部屋へ通され、廊下から別の部屋へと移ってレントゲン撮影を受ける。その際、息を吸って吐くように指示されるが、腹部には負担が生じる。付属部屋に戻って座ると、血液採取を受け、待つように指示される。その間、耳にした『腸閉塞』と言うワードについてスマホで調べてみると、手術が必要となるケースもある上、1週間の入院が必要なのだと言う。そんなバカな、これは魚の煮付けによる食中毒ではなかったのか? 今日には帰って1週間ほどの自宅療養で終われるような事ではなかったのか? まだ山ほど作業が残っているぞ…………? そう延々と考えていたところ、診察室に呼ばれ、再度横になるように指示される。この一連の挙動が苦痛極まりなく、腹痛の後、腹部にはローションのような物が塗りたくられ、違和感と冷たさが残る粘液と腹痛で、不快感が二乗されるのだった。

「うーん……特に何も見えないねぇ……腸閉塞なら……」
「…………」
腹部にはバーコードリーダーのような物を当てられ、横の真っ黒なモニターには逆扇状にうっすら白い粒子が重なって映され、粒子は絶えず流れるように揺れ動く。腹部エコーだ。これまで分かりやすいような検査を散々したと言うのに、それでも釈然としないようだ。

「もしもし?」
そういった不明瞭な状況が続くと、先生が段取りを取った後に、近所の大病院へ電話を掛ける。今日は空いている医師が居るか等のやり取りが電話で交わされ、電話が終わると「救急車……じゃなくて、タクシーでいいね」「呼んでおきます」等と大病院に行くように指示をされ、痛い思いをして待合室に戻る。女性看護師から立っているのと座っているの、どっちが良いかと尋ねられる。どちらにしても痛い事には変わりないが、手足の多少の休まる感じ、浮遊感だけは得られるので、座る事にする。

数分後、受付に呼ばれて5,000円ほどの精算を済ませると、こまごました保険証・診察券・明細書に、両宛名に加えて「診察情報提供書在中」と仰々しく書かれた長方形茶封筒の紹介状を受け取り、「……ありがとうございました」と、なんだかよく分からない礼を告げて内科を出る。5,000円と言うのは、紹介状なしに大病院へ行ってしまう選定療養費に等しい金額である上、ここまで2時間半を要している。なんだか、厚労省に振り回されているという疑念を抱きつつ、俺はタクシーへと乗り込んで大病院まで走らせたのだった。

心身ともに疑念が渦巻く中、分譲マンションのようにモダン的な、数階建ての大病院へ入って受付まで行くと、カウンター上の三角型カードには「本日の受付は終了しました」等と書かれてあるが、構いもせず受付嬢へ紹介状を差し出すと、カウンター奥で確認の後に、受診に対しての種々のアンケート紙を2枚渡される。苦悩にもだえる中で立ちながら書き、提出からしばらく待つと、診察室への移動を促されるが、ヨチヨチ歩く様を女性看護師が見かねたのか、「車椅子の方がいいですか?」と的確な提案がなされたので、それに従い、青いポリエステルシートとスチールフレームでできた、折り畳み車椅子に座る。大病院と言うだけあって、備品も判断も十分なのだろう。移動に際し、後ろから看護師に押されると、移動への苦悩がかなり和らいだ事に安心感を覚えるが、同時に「よもや車椅子に乗らないと満足に歩けないのか……?」と言う事実にも気付かされたのだった。

「漢方以外には何か飲んでいますか?」
「……サプリメントぐらいです」
「いつから痛いですか?」
「3日前からで……食後が特に…………」
眼鏡に、真っ黒なあごひげを携えた中年期前期の、先の個人病院と同年代の先生と問診を行っていくが、交わす内容に代わり映えはしない。触診をされて腹が張ってるとも言われるが、そんな自覚はない。ただただ痛いだけだ。

「ご家族の方に、お電話とかってできますか?」
腸閉塞のワードが出て以来、嫌な予感と言うよりも嫌悪感がずっと渦巻いていたが、事は重大なようだった。なぜ、家族が出てくるのだろうか。

「ちょっと、ご家族にお話ししなければならない事や、同意書が必要な場合がございますので」
「……手術等も、必要になられるのでしょうか?」
「検査の結果次第では、そのようになります」
結果次第とは言うが、先に散々出た結果では原因が分からなかった。希望もない。いやそもそも、お話しとは何なのだろうか、余命幾ばくかの人間の症状でも現れているのだろうか。

「……どしたの!? 急に!!」
どれくらいぶりかは分からないが、別居する両親にスマホから電話を掛けたところ、平日の昼間と言う事もあって最初はつながらなかったが、折り返し母から電話がやってくる。

「……ぃ、いやもしかしたら……もしかしたらだけど……あの……あのぉ、手術するかもしれないから……」
「え、どしたの!?」
俺は腹痛でいつも以上に話し方がぼやけている上に、母も動揺が隠せていない。しかも俺は全容がまるで分からないから、説明がうまくまとまらない。

「行かなければならない!?」
「ぁ……ちょ、ちょっと待って…………」
そのままスマホを下に降ろすと、先生へ「す、すいません……来る必要が……?」と何が言いたいのか定まらなかったが、先生は「では私が話しましょうか?」と言うので、スマホを渡して電話を替わる。

「お腹の張りがかなり強くてですね、日曜日ぐらいから症状があると言うところと、痛みがですね。それと、お通じがなかなか出てなくて、お腹がすごく張ってるような状態」
先生はお腹の張りについて、電話で二度も述べるが、それはそんなに重要な事なのだろうか。

「まあ今からですね、検査をいろいろとしてみますが、その原因がですね、もしかしたら手術が必要な状態かもしれないので」
「例えば手術をする場合には、ご本人の同意だけじゃなくて、ご家族の同意とかも必要になりますので、今からお寄りいただく事は可能でしょうか?」
「腸閉塞と言う状態が、一番考えられます」
「原因が今のところは分かっておりません」
「丸2日出てないんですね、お通じが。それでお腹がパンパンの状態で、ただの便秘とは考えられなくて、熱が8度あります、今」
何も言えない。今日は帰れそうにない。そもそも手術って何なのだろうか。意味が分からない。昨日胃腸科内科に行けていれば、手術をする必要はあったのだろうか。

「はい、失礼いたします」
そうして電話を終え、スマホを返されて数言を交わすと、車椅子で引っ張られながら、採血やレントゲン撮影を重ねていく。先にした事と代わり映えはしない。痛いまま気分も晴れず、車椅子に押されると、ベルトコンベヤーで出荷されていくような心持ちになっていく。

「こちらにサインをお願いできますでしょうか?」
段階を踏んでいくと、女性看護師からサインを求められる。もう手術に入るのか……? とも思ったが、CTの同意書のようだ。放射能のリスクか何かだろうか等と、内容に目を通そうともせず、とりあえず原因が分かるなら良い、手術でないなら良いと思考停止をして、今日の年月日と名前のサインを行い、腹痛とともに屠殺を待つ面持ちで、ベルトコンベヤーのように運ばれた後、CT室でまた吸って吐いての運動を促されたのだった。(同意書は実際には、吐き気、意識障害等の副作用リスクに対する物)

「腸が破れとる」
CTを終えてベルトコンベヤーで運ばれている中、「蝶が藪におる」と相違ない、日常の1コマを切り取ったような穏やかなニュアンスで、先生にそう言われる。しかしその言葉は、理解の範疇を超えていて、穏やかではない。情事中、「俺の女に何してんだ!」と乱入されるような、スピード感のある死刑宣告なのに、それでも穏やかに言うのだ。……破れてる? それはどれぐらいの大きさだ? 腸閉塞とで、どっちが重大だ? というかそんなの、ウイルスや細菌で起こりうるのか……? ……いや、ウイルスは俺自身だったのか?

「お母さんは、まだ掛かりそうですか?」
意味の分からない中、立て続けに先生からそんな事を言われるので、スマホを取り出す。……破れた腸は、恐らく自然には治癒しないのだろう。この腹痛が物語っている。そして再三にわたり、親について言われるのだ。……もう、そうなのだろう。

「今電車で……あと……どうだろ? なんで? 手術?」
「……なんか、手術になりそう」
「一刻を争う感じ?」
「な、なんかぁ……俺自身も……驚いたんだけどぉ……なんか、腸が破れてるらしいぃ……」
弱々しい声で今ある事実と、最も考えられる未来を、ありのままに伝える。
「えぇ!? ……何よそれ!? うーん……駅に着いたらタクシーで向かうから!」
それは母にとっても、想定外の事に他ならず、声は震えていたのだった。

とうとうベルトコンベヤーは、最終地点のベッドの並ぶ部屋へと到達し、浴衣型の病衣に着替えてベッドに横になるように指示される。着替える所作も、横になる所作にも改めての腹痛が生じるが、よもや焦点の定まらない不安に、感情は支配されている。

「……飲まれているのは、漢方薬と言う事でした」
「50代ぐらいの方に生じる事はあるのですが、20代の方となりますと原因が……?」
母がベッドの前を横切ってから数分、先生から母への説明内容が、時々に耳に入る。20代だと、類を見ない傷病のようだ。……そうなると原因は確率的リスクではなく、俺が手繰り寄せた要因、俺しかしていないような要因ではないだろうか。……そうなると……いや……だけど…………

「ちょっとつらいですけど……我慢してください」
「左鼻から胃管を通します」
看護師は、早速俺が望まない事をやってくる。誤って喉に箸を刺したような痛みと苦しみが延々とやまず、喉だけでなく左鼻にも苦痛をもたらすのだ。
「ぇ……うっ……ヴぇえええぇぇ!!!」
目からは涙が、左鼻と喉からは苦痛が止まらない。腹痛を上回るかもしれない。

「これから手術に入ります」
「……入院になりますか?」
「そうですね……」
横になったまま、種々の痛みにもだえていると、研修医のような若い男性によって、早々に望まない未来が確定される。
「……すいません、ちょっと連絡しなきゃいけないところがあるので、携帯で連絡してもいいですか?」
「はい、いいですよ」
一連の手続きの過程で手首に巻かれた、患者名の書かれたポリウレタンリストバンドを眼前に掲げ、下にはベッド、奥には医療器具、そして広大なのに無機質な空間……と言う構図の写真は、病院で横になっている俺であると理解してくれる、そう信じてスマホで撮影し、写真とともに数行で病状・現状を添えて各所へ連絡を行う。あまりにも即興的だが、俺は自宅療養が可能な食中毒だと妄信として胃腸科内科に行ったのに、初診での手術・入院と言うのは、あまりにも想定外でいて、現実に追い付けていない。今日も、明日もオンラインであり続ける事を前提として物事を動かし続けていた。だがオフライン生活を余儀なくされ、ありとあらゆる活動が遮断されると言う。本来、数日前からやるべきオフラインとなる際の対応を、今から突貫的にやる他ないのだ。過去に散々、気になる事があってはあらゆる病院に行き、「何もないです」と言われ続けた挙句に、これなのか。

「……もうよろしいでしょうか?」
15分もすると、しびれを切らされる。
「もう少し……待っててください……」
「……終わりました」
そうしてスマホを預けると、間もなくベッドが動き出す。手術室へ向かうのだろう。
「……がんばってね!」
その途中、母の姿を確認する。

手術室は、やはり無機質な白いトーンの部屋でいて、大から小の医療器具が雑然と間を空けて置かれている。ドラマの手術室とは似て非なる物であり、それは記号的でなく、機能的な感じであった。真ん中までベッドが行くと、横になったまま、手術室のベッドに移るように指示されるが、腹部は変わらずえぐられるように痛い上、鼻から通る胃管の苦しさまで、今はある。……そうしてマスクを付けられると、全身麻酔によって、意識は遠のいたのだった。

起きるとそこは集中治療室のベッドで、数時間が経過していた。喉から左鼻に出ている胃管は苦しく、何か灰色の物が見える。尿道にはまた何か管が刺さっていて単純に痛く、ベッド脇の管からは尿が見え隠れするのがえげつない。左腕には点滴の管が刺さっていて、視覚的にも痛々しい。挙句の果てに、腹部左右のガーゼからは3本のドレーンという管が、腹のさらしに巻きつけられたリザーバーにつながっている上に、浴衣型の病衣下には重々しい腹帯も巻かれている。それでも腹痛と言う感覚は、えぐるような痛覚から、すくうような痛覚へと、マシになったかも分からない。側には母が居た。

「看護婦さん、『相当痛かったはずですよ、よく我慢してましたね』って言ってたよ」
「後ちょっと遅かったら、腸の穴から便が出て雑菌まみれで死んでたかもだって」
あの痛みは、救急車を呼ぶべきサインだったのか。……目に見えない傷病の判断、痛みは尺度が分かれるだろうから、こうなったのは半分、軽症の救急車使用を社会問題にさせている奴のせいだ。

「先生が手術の時、腸でツブツブに触れたって言ってたよ」
そうか、やはりか……。

程なくして先生が来る。膿を出して生食注で何度も何度も洗った、穴は破れてふさがった形跡があった、一部分は縫った等の手術内容の説明や、2週間の入院が必要である旨を聞かされた後、質問を行う。
「先生……あの……手術時にツブツブに触れたんですよね……? 私はサプリメントを1日100錠ほど飲んでいるのですが、それが原因なのでしょうか……?」
「100錠はちょっと……多いねぇ……破れた原因は、もしかしたらそうかもしれないね」
そうか。先生は安易に原因を定めないが、他人と最も違う事をしていた要因を、有力視はしてくれる。よもや、消化をできない量のサプリメントは、石やナイフに等しいのだろうか。サプリメントの摂取タイミングで多錠剤を分けず、まとめて水で流し込んでいたのも、いけなかったかもしれない。病院に行った際、サプリメントの種類数について言及されるかは病院によって異なるのと、事細かに申告する余裕がなかったので「漢方とサプリメント」でやり過ごしてきたが、事細かに伝えるべきだったのだろうか。
「……このような事例は、今までにあったのでしょうか?」
「……僕の知る限りでは、ないね」

そうして6本の管がつながった痛々しい状態で、病院での日々が始まる。痛覚は微程度和らいだ物の、あまり動きたくはない。ずっと横になっていたいような具合であったが、手術翌朝に父が見舞いに来た時は「思ったより元気そうで何より」と言い出し、自覚症状と大きな隔たりがあるようだった。その午後には、一般個室への移動が促される。やはり横になったままベッドを移動するのは、苦痛を伴う。差額ベッド代が倍以上するので、希望は4人部屋だったものの埋まっており、臨時で個室との事だったが、それ以上掛け合う気力もなかったのだった。

一般個室は白いクロスと木目調で構成されていて、医療ベッドが奥にはあるものの、隣には洗面所もあって生活感が見受けられるルームデザインで、その後訪ねてきた母も「ホテルみたい」と大層お気に入りのようだった。だったら俺の代わりに入院してほしい。そして委任状によって役所から取り寄せてもらった、俺が適用対象者となっている健康保険限度額適用認定証を受け取り、集中治療室で看護師から、防犯・電波上の問題で母に預けるように促されていた、財布・スマホ等の一式を返してもらう。スマホで、オンラインからオフラインとなる際の突貫的な連絡への返事を確認すると、「いつになります?」「そっちの都合」等と言う物も一部あり、それは事実でいて、もしも俺がそっち側であったなら、同じ事を言ったかもしれないが、弱った先行きが見えない身体にそんな事を言われても、明るくなる由はない。2週間で退院できる気もしない。それでも堪えて、謝罪文をしたためて返事をする。なお、両親はまた後日も来るとの事だった。

母が帰り、横になっていると、入院病棟の女性看護師から全身を拭いたいか尋ねられる。正直なところ、身体を揺らすのも腹部とチューブ部が痛むので、このまま何もせずに横になっていたいのだが、なんだか左の脇毛から芳醇に焼き上がったビーフのような体臭がしていて、医療を受ける体裁的にも微妙なところだろうと従う。タオルで上から下まで、丹念に力を入れて近い世代の異性に拭われ、新しい病衣に着替えさせられるのは、なんだか複雑な心持ちではあるが、そういった感情より、意識は腹部とチューブ部の痛みに持っていかれるのだった。

手術翌々朝。この日担当の女性看護師から胃管を外す旨を告げられるのだが、この2日で左鼻から喉にようやく安定した、突き刺さった箸はなるべく動かしたくない。また同じような苦痛は味わいたくない。……しかし、外さないままでは治る物も治らないだろうと、注射のように、受け容れなければならない痛みであると覚悟し、寝たまま複雑な面持ちで構えていると、ゆっくり嬲るように胃管を引っ張られる。蹂躙され、2日前の箸が強烈に突き刺さる苦痛が想起される。くぐもった涙声が、個室の中でこだまする。これで体内から伸びる管は残り5本。

「午後から立ち上がって歩けるように、後で尿管を外しましょうね」
医師による回診や、看護師による、管5本の両末端への、種々の処置が終わった後でこのような事を言われ、聞いてない物として、痛みから逃避するような心持ちで眠っていたのだが、言われた数時間後に改まって、看護師が処置に臨もうとやって来る。尿管は単純に性器の尿道へ違和感を生じさせ、たまにもたらす痛みは、やはり箸のような棒でほじくり返されるような感じだ。そのような刺激を、より強く積極的に受けるのは避けたい。胃管を挿れた刺激は最初に分かっていたので、覚悟はできていたが、尿管なんて全身麻酔で眠らせられた手術時に挿れられた代物だ。やるなら、全身麻酔をかけてほしい。……だが、点滴を除く、4本の管による全身の痛みに加え、腹痛で横になっている俺には逃げる術もなく、俺の精神はとうに屈服している。思考の余地は与えられておらず、受け容れる他ないのだ。

看護師に尿管と下半身を握られ、一気に抜かれる。これは箸ではない。一度深く刺した錐を抜くような物だ。尿道に鈍く鋭い痛みが広がり、性器、下半身、精神も侵されていく。他に対しての感情はない。1秒ごとにピークから痛みは遠ざかっていくが、痛みが半減するまでの、1分にも満たない時間は、とても永く感じられたのだった。残りの管は4本。

その後も横になってばかりいると、スマホEvernoteアプリで、これまでの生活・食事・サプリメント等についてをまとめ、先生に読んでもらって原因究明・予防策について指南してもらう事を思い立つ。まず生活だが、ほぼ1年中家に引きこもっている。そして絶対に7時間睡眠は取るが、寝るのは深夜アニメが終わった後の未明から昼前までだ。趣味は広く浅くあるが、ほぼ1年中休まないオンライン活動で、若干のストレスはあるかもしれない。食事は昼と夜だけの1日2食、自宅では毎日PFCバランスを厳守する他、栄養食で生卵や、夜限定でプロテイン等を食べたり飲んだりしているが、大部分は勝手気ままインスタント食品や菓子類で済ませている。1日2食なのはずっとだが、完全にこのような食事になったのは1人暮らしになってからで、栄養食・サプリメントがあればいいと考えてきた。サプリメントは食間3回食後2回就寝前1回で、1日6回の摂取タイミングがある。それぞれの1日量だが、漢方を含めた精神集中・安定系サプリが35錠16種、基本栄養サプリが29錠4種、整腸系サプリが20錠1種、体力系サプリが4錠1種、さらに一部サプリとの相乗効果を狙うサプリが27錠4種(単体で他サプリの効果にも該当・重複する)。加えて、1回量で任意のタイミングで外出時だけ飲む疲労予防サプリが2錠。こんなにもサプリメントの種類と錠数が桁レベルで増えたのは、1年半前から徐々にだが、それでも能率や体調が微妙になるのは選別外としてきたし、それ以前からずっと飲んでいたのは、多錠の整腸系サプリと他数種ぐらいだったものの、暴飲暴食で体調が悪くなるような事がままあった気がする。予防策として今後は……精神系と栄養系のみとしよう。その内でも一部は減らそう。全部で30錠15種には減る。継続して疲労予防サプリも、外出日限定で任意で飲もう。後は体質や入院前後の体調を書いて……と言うような具合の事を、箇条書きで実際の商品名を添えてメモし、先生が来るまでの間に思い立ったら追記していき、3,000文字程度でまとめ上げたのだった。(サプリメントはいずれも、iHerbやAmazonで買えるような物)

「これぐらいに錠数を減らすなら、まあ……?」
夜になって訪れた先生は、ご丁寧にもこまごまとフリックして、全文を読んでくれたのだった。
「いろいろと考えて食事したり、サプリメントを飲むのは、もっと後でも良いんじゃないかな……まだ若いんだし」
先生にとっての懸念事項は、サプリメントだけのようで、他要因は問題視していない。
「僕飲んでないけど健康だし、20代でいる?」
「……続けるのは、集中力を維持させるための物がほとんどです」
確かに、サプリメントを飲んでいた事で内蔵は栄養過多になっていたかもしれないが、それでも精神と脳への栄養補給は別だと思う。このまま焦らずじっくりコトコト完治し、オンライン活動へ復帰したとしても、モードを切り替えて恒常的に一日中活動を続けられる自信はあまりない。2週間の入院だと宣告されて以来、突然の休みとなった事に対して、申し訳なさだとか、早く治りたいだとか、そういう具体的な考えがうまくまとまらないのだ。目の前の痛みで精一杯だと言う事もあるが、それでもまとまらず、ただ点滴と看護師によって生かされている日々だ。

「ガスは出てる?」
ガス――おならはこの日からほどほどに出るようになっていた。社会では忌避されるおならも、この治療では重大な事項のようだ。
「立ってるところ見てないんで、早く見せてください。歩かないと腸が動かないので、治りません」
この日までずっと、管の痛みや腹痛で寝込んでいたのだが、そろそろリハビリをしろと言う。それでも窮屈だった管は既に2本抜けているし、寝ていてもつらいだけなので、立つ事への苦しみは初期投資だと割り切って、回復して回収する他ないのかもしれない。
「ちゃんとトイレにも行ってね」
よもや胃管も尿管も抜けているので、人間の尊厳として立たざるを得ないのだ。病院の愛のムチだ。

しかしこの日の消灯時間にもなると、ベッド左の洗面所の明かりがついたまま放置され、寝付けない時間がただただ過ぎる。ベッドから洗面所の距離はわずか数歩だが、起き上がるのに不安が付きまとい、まるで数日前の音の絶えない公共放送のように煩わしい。今ならナースコールを鳴らして消してもらう事もできるが、あの時のようなえぐられるような痛みはない上に、ここは救急車よりも安全な場所なのだ。

横になっていてもやってくる、痛みの波の中。10分、20分問答して、覚悟を決めて電動ベッドで上半身を起き上がらせ、忍ばせるように左足、右足をベッドの上で左へと動かし、震えながら両足をベッド外に置く。すると、忙しく腹痛がカンカン鳴らされ、まるで足先まで痛みが伝導していくようで、腹部から出る3本の管も揺れる。それでも1歩、2歩、3歩、4歩、5歩、6歩と歩き、可能な限り思いきり腕を伸ばしてスイッチを切る。寝付けなかった事による曖昧な感覚と、痛みの中で、また6歩歩き、俺は横になったのだったが、腹部を張るような痛みで寝付けない状態が続き、1時間後にナースコールを鳴らし、これまで何度か点滴に投入されていた痛み止めの再投入を要請し、だましだまし目を閉じたのだった。

痛みを抱えたまま、寝付けたのか、寝付けていないのか、何時間寝たのか、曖昧な中ではあったが、起きる。そのまま横になったまま過ごす。1時間もすると、その日担当の女性看護師がやってきて、尿意を催していないか尋ねられる。先生は、自分の足でトイレに行くように促していたが、また同じような恐怖は味わいたくないと、看護師に尿瓶を握らせたのだった。

それからさらに数日が経過する。立つという運動は考えられもしなかった事だったが、それでも徐々にはなじみ、自分の足でトイレに行けるようになる。最初のトイレは腸から肛門にかけて力が入らないような、ぼやけた感覚だったが、これもなじんでいく。そこからステップアップして歩く運動に移行するのだが、この運動は点滴スタンドを左手で押しながら、入院病棟の廊下へ出て、二重長方形の内外に並ぶ病室の廊下半分の箇所を回り、何回か周回するだけだ。右手にスマホは必需品だ。1周数百メートル程度だが、それでも2周ほどすると、くじいたような腹痛で断念させられる。しかしそんな事情を知ってか知らでか、先生は「お腹の運動が弱いので、もっと歩いてください」と、決して俺を許さない。

この頃にもなると、看護師は全身ではなく背中だけを拭くにとどまっていて、後は自分で拭くように言われていた他、流動食が病室に運ばれるように出るようになったのだが、これが決して食の喜びを感じさせてくれない代物だ。重湯、具なしスープ、温泉卵、暖かいミルク、紙パック飲料で基本的には構成されていて、具なしスープが、朝は味噌汁、昼はすまし汁、夜はシチューなのだが、具がないためとても味気なく、紙パック飲料のほとんどがジュースなのだ。汁、汁、汁で食べ合わせも何も考慮されてなくて最悪な上、いまだ腹部は落ち着いておらず、ある程度食べたところで腹部全体が悲鳴をも上げる。それでも、退院が早まるなら、腹部のためになるならと、治療の1つだと割り切って、1人食べながらスマホをいじると言う行儀の悪さで痛みを紛らわしつつ、完食はできなくとも少しでも食べ重ねたのだった。

歩いていてやってくる痛みにもなじみ、徐々に廊下を10周程度できるようになった頃、退院者が出たと言う事で4人部屋に移動させられる。俺の中で4人部屋と言うのは、お互いの顔を伺って行動をしなければならない戦場だと覚悟していたのだが、実際には四隅がカーテンで仕切られ、その中にベッドが設置されると言う、想像以上にプライベートを有する空間であった上、年配男性が多かったので、見舞い人や看護師が居ない時は比較的静かであった。無論、トイレや洗面所は共有な上、白いクロスと木目調の一般個室が、そのままサイズオーバーしたようで垢抜けないルームデザインだが、それは仕方がない。横になって痛みの波が生じてきた際、隣からうめき声が聞こえてくると、より痛みが増大されるような気がしてくるが、それも仕方ない。

次第に三分粥食になり、リハビリの一貫で病室ではなく、誰も居ない患者食堂でわざわざ1人ぼっちで食べるようになる。ただ、三分粥でもほとんどが水分な上、里芋・にんじんペースト・白身魚ほぐし身が添えられたよく分からないおかずが出たり、滑らかと言うかヌメヌメどんよりした具なしポテトサラダが出たり、数センチ以下で刻み込んだうどん麺とわかめで占められた、だしの利いたよく分からない汁物が出たり(これは三分粥なしの献立)、やはり食の喜びは見いだせない。それでも、時間を掛けながら完食へと到達できるようにはなっていたのだったが、やはり食後には休息が欠かせない。また、ようやく歯を磨いたりヒゲを剃ったりする余裕も生まれてきたのだった。

朝にベッドで横になって行われる回診は、初日から実施されてきた。この頃にもなると、腹部から出ていた3本のドレーン管を徐々に減らしていき、全てが抜ける。全てが抜けた日、いったん腹部のガーゼも全て取ると、初めて自分でも分かったのだが、へそ上には10cm強の新鮮な縦の切開跡があった上、20個強の医療用ホッチキスが連なるように止められているのだ。左右の計3箇所には、穿った穴が1cm空いている。ドレーン管が出ていた箇所だ。その3つの穴には改めて医療用ホッチキスで止め、へそ上のホッチキスは抜いていく。意外にも痛みはさほどなく、定規で弾かれる程度だ。そして4つの箇所をブラウンのメディカルテープでふさぐ。テープは、自然に全部が剥がれるまで付けろと言う。一部が剥がれても、剥いではいけないようだ。そしてさらし、腹帯がいつものように巻かれ、浴衣型の病衣を着せられる。

この傷は、死ぬまで遺るのだろう。別に誰かに見せるような代物でもないが、どこにも向けようのない悔しさがあるのは、なぜだろうか。それでも元のオンライン空間に戻って、脳が終日脱線せずに作業へ切り替えられるかは別問題で、やはりサプリメントは摂取し続けたいと思う。入院によって、半ば強制的にサプリメント断ちをさせられている最中の思考パターンは、やはり作業に適していない気がしてならない。暇だからと、Kindleアプリで青空文庫を読んでも、途中でブラウザアプリやチャットアプリへとフラフラ移って、読破に時間を掛けてしまい、やはり入院前と異なるような気がするのだ。悔しいが、努力を避けてきた無能力者の俺には欠かせないのだ。

病院が俺を支配するのは、点滴の管1本だけになったのと、ようやく痛みとも距離間のある付き合いができるようになると、退院して自宅へ解き放たれたいという方向性が明確になる。歩くだなんて事が想像でもできなかった最初こそは、痛み、腫れ物に触れないでほしい気分だったが、今でこそは腫れを突き出して処置をしなければならない物だと分かる。それに伴って気も滅入っていたが、正式にオンラインでの謝罪へ向き合うだけの余裕もできている。入院とは風邪の引き始めと同じで、初期は最も心身がつらいが、次第に余裕が出て来るのだろう。

弱っていた初期は、「看護師は女神。医師なんて1日に数十分しか顔を合わさないけど、看護師はいつでもそこ(入院棟)に居てくれる」等と言う幻想を抱いていた物だったが、今では接客店員のような、役割の1つだと言う認識にすぎない。看護対応の途中で何度も消えた若い看護師や、点滴注射を2回刺しておきながらうまく行かず、他の看護師へチェンジしたもう1人の若い看護師も居た他、基本的な手際1つにしても、年配の看護師の方に安定感を覚えるようになっていた。それでも嫌な顔を1つせずに献身的なのは、あらゆる接客業よりも上位職だと言える上、医師は多大な患者を抱える中でも短時間で、確実に退院への方向性を定めてくれているので、やはり先生と尊敬の念を持つべきなのだ。

次元は五分粥食へ到達する。五分粥にもなると、ようやく米の食感が舌先で確認できるようになり、食堂前の献立表のおかずが、一部だけ出て来るようになる。朝にはキャベツの和え物、昼には炒り鶏、夜にはたらの焼き魚だ。キャベツの和え物は小鉢ではあるが、確かな食感とキャベツ自体の味わい、酢などの味付けもしっかりしている。炒り鶏は鶏肉・にんじん・ごぼう等で構成されたオーソドックスな物だが、一種一種の味わいもしっかりしていて、だしの味わいも裏切らない安定感がある。たらの焼き魚は、単品でも身と食感がしっかりしていて旨味が際立つが、醤油袋を掛けるとより味わいがシャッキリする他、さらにレモンを掛けると、いけない事をしているジャンク感まで出てくるのがたまらない。それをあっさりした五分粥、芳醇な味噌汁・豆腐小鉢などで頂く。完璧な献立だ。退院したらアレが食べたい、コレが食べたいと言う感情があったが、完全に満たされてしまった。別にサプライズ感のある美味しさと言う訳ではなく、安定感のある美味しさを、普通に有している。病院食は、美味い。もう、これだけで十分だ。

よもや病院食は苦なく平らげるようになっており、「今、このまま退院したいぐらいです」と言うような具合の事を、何度も担当医やその日担当の看護師などに伝えていたぐらいだった。腹痛の波はたまにやってくるぐらいで、よもや寝ている時間よりも、歩く時間の方が多かった上、点滴の管もとうに抜けていて、病院は俺を支配下に置いておらず、手術前に異常値を出していた血液検査も、落ち着きつつあると再三言われてきた。

「○曜日に退院! ……と言いたいところだけど、まあ希望があるので、2日早い△曜日に退院としましょう」
「今日のお昼は全湯の予定でしたが、常食にします」
回診で血液検査の現結果と、腹部の状態を見られると、要望はすんなり聞き入れられ、回診の際に再三伝えられてきた退院日より、早い日での退院が決まる。それは明日でいて、入院から2週間もたっておらず、余裕がある内での退院であった。これまではタオルで全身を拭ってだましだまし洗浄してきたが、今日1日だけでも、ようやくシャワーに入れるようでもある。

ただ、それでも数日後には外来がある上、何日かは薬を飲み続け、3カ月にもわたって腹帯を付け続ける必要があるようだった。少しかゆいメディカルテープに、消えない傷といい、サプリメントのせいであるかも定かではないが、人生への重荷は積み重なっていく。何よりも実害があるのが、腸閉塞のリスクだ。これまで病院から事細かに説明は受けなかったものの、スマホをいじっていて目に入ってしまったのだが、腸閉塞患者の9割が開腹手術歴のある人間なので、開腹手術歴のある人間特有の傷病と言って差し支えがなく、開腹手術の数週間後から数十年後に発症する恐れがあり、入院する原因となった腹痛について、最初は腸閉塞を疑われていたので、また同じような憂き目に遭う事は絶対に避けたい。手術歴のある人間の発症率は10%のようだが、それでも俺は爆弾をも積んでしまったのだろう。

退院と言うゴールが見えると、怠けるようになっていた。別に歩く事は歩くのだが、それも前日の半分ほどで、基本的にはベッドに腰掛けてスマホをいじっている。それでも、今日の昼に食べたクラムチャウダー・ロールパン・コールスロー・パイン・甘さひかえめヨーグルトの味は変わらない。クラムチャウダーは味わいに不純物がなく、純粋にまろやかな旨味が広がり、こまごまとした小エビ・じゃがいも・にんじん・たまねぎ等の味わいも、優しくふくよかに広がる。ロールパン・ヨーグルトは既製品だが、献立の完成度をただただ高めてくれ、コールスローは新鮮なトマト・キャベツ・きゅうりの食感を損なわず、サッとマヨネーズを掛けたような具合だが、シンプルでも高完成度。パインも同様な具合。これは五味一体となった、大人の給食だ。無論、献立表に書かれてあるPFCバランスにも過不足なく、栄養にも気を遣われているので、毎日でも食べていたい。

退院・体調・シャワー・食事と、思い通りな1日に呑まれながら、ベッドに腰を掛けて夕食の時間を待っていると、突然カーテンがわれる。
「こんにちは。私、管理栄養士の――」
現れたのは、中年期の眼鏡を掛けた女性栄養士だった。割烹着を着たら、様になりそうだ。
「病院食……どうですか……?」
「三分粥までの頃は『うーん……?』って感じでしたけど、五分粥になってからは美味しく頂いてます」
俺はありのままの評価に加え、感謝の念を伝える。
「それは何よりです」
すかさず、栄養士は苦笑したのだった。

「退院後の食生活についてですけれども、入院前はどのような食生活を送ってこられましたでしょうか」
そう言えば入院2日目。先生へスマホで見せた、Evernoteアプリでこれまでの生活・食事・サプリメント等のまとめを書いている途中、先生にいつ会えるか分からなかったため、看護師へ「先生に退院後の食生活について、相談したいのですけれども」と掛け合った事があった。その際、栄養士でも構わないかと尋ねられ了承したものの、ずっとそのようなイベントはなかった上、晩に先生とも会えたので、自然消滅した物だと思っていたのだが、こんなにたってイベントが発生したのか。ちょうどいい、同じまとめをこの栄養士に見せよう。

サプリメントは補う物であって、それをメインにしては絶対にダメです。栄養は食事から取りましょう」
読みながら渋い顔になり、何人かから散々聞かされてきたような説教を言う。
「でもPFCバランスは考えて食事してますよ」
「お菓子、ですよね? ……普通の食事をしましょう。コンビニのお弁当や、冷蔵食品でも構いませんので。炭水化物はご飯から取りましょう。パックご飯でも結構です」
それでも合格には程遠いだろうが、まずは普通にしろと重ねる。
「でも、お昼に白米を食べると、低血糖症のような症状を起こして、作業が滞るのですよね……GI値の低い物や、脂質の割合の多い食品を食べないと……」
「お菓子の方がすぐに糖質が吸収されます。白米の方が吸収が遅く、野菜等の食物繊維で、血糖値の上昇は抑えられます」
信じられない。白米は高GIな上、明らかに白米で能率・体調が悪くなると言う事はままあった。食べ合わせで何とかなるとは言うが、いまいちピンと来ない。
「1日2食であるとの事ですが、朝も食べましょう。いろいろ食べてほしいですが、最低野菜ジュースだけでも構いません」
朝食も能率への影響が懸念されるのであまり食べたくない上、朝食抜きを支持する層に対しての具体性が乏しい。なんだか栄養士と言うのは、厚労省の見解を垂れ流すだけの存在としか思えない。
「睡眠には、より寝付ける理想の時間帯がございます。時間帯を4時間前にズラす事はできないでしょうか?」
「うーん……深夜帯にやる事や、趣味(深夜アニメ)の兼ね合いもあるので、難しいですね……特に何もない日(放送がない日)であれば、安定して2時間程度は前にズラせると思いますが……」
「では、せめて2時間だけでも前にズラしてください」
睡眠のゴールデンタイムについても提唱されるが、これも実際には根拠がある訳でもない。やはり、話半分に聞いてしまう。

「今回の入院の件もございますし、これを機に改めましょう」
「……でも先生は『原因かもしれない』とは言われてましたが、具体的な原因は分からないのですよね」
「そうかもしれませんが、それでも改善するべきだと思います……ところで、サプリメントはどのような物を飲まれるのですか?」
「以前はここに書いてある量(115錠26種)を飲んでましたが、退院後はこれぐらい(30錠15種)にしたいと思います。集中力を脱線せずに維持させるための物が、ほとんどです。先生も、それぐらいなら構わないだろうと」
「そうですか……では、また何かお聞きになりたい事がございましたら、退院後は――」
そうして、栄養士――厚労省の見解に基づく、3枚の食生活の情報ペーパーをもらい、別れたのだった。

患者食堂で1人、ご飯、チンジャオロース、リンゴの白和え、おかか和えに対峙する。ご飯はもっちりふっくら。チンジャオロースは牛肉・ピーマン・しいたけが甘辛いタレで三位一体。リンゴの白和えは、和え衣の酸味との対比効果で、リンゴ・他野菜の甘味が際立つ。おかかは落ち着きのある味わいだ。……無論どれも美味しく、栄養士がしっかり栄養を考え、人の手でしっかり時間を掛けて調理されている。……しかし、1人暮らしでこんな物を作る気力は到底ない。やはり、無理なのだ。俺には、インスタント食品や菓子で寿命を縮める他ないのだ。

ただ、確かに昼は白米等を避けて食事を選ばないと低能率になるが、夜はどうだ。理由はよく分からないが、昼そこそこ・夜いっぱいと言う食生活をずっと続けているが、夜は別にそれで低能率にはならない。では、夜だけでも一般的な食事を取るべきではないだろうか。入院してサプリメント断ちをしていたからと言って、悪い部分だけではなかった、健康的な病院食由来か定かではないが、歩く事や退院への意欲は、毎日間違いなくあった。

入院前なら「でも血液検査は何年も問題ないんですよ!」と、栄養士に食って掛かり、厚労省にうんざりして独自思想を貫いていただろう。だが、「どこかいけないかもしれない。でもずっと大丈夫」と、本能に背き続けた結果が、この入院を及ぼしたのかもしれないのだ。全部を、一般的な食事にするのは難しいかもしれない。ただそれでも、本能に背いて生き続ければ、しっぺ返しを受けるかもしれないのだ。引きこもっているからコンビニには行きたくないし、弁当をネットスーパーで頼んでも、最低注文額と送料がバカにならない。……だけど、宅配弁当サービスならいける。退院したら、早速契約しよう。

翌日、浴衣型の病衣から、初めて私服へと着替える。おかずの炒り卵が、シンプルで美味しい朝食を頂いた後で、代休を使って迎えに来てくれた母と退院についての説明を受け、薬や退院証明書等を受け取り、初めに紹介状を渡した1階までエレベーターで下り、カウンターにて自分名義のクレジットカードで会計を済ませる。月またぎをしたせいで、健康保険限度額適用認定証の計算が分かれるので、高く付く。月をまたいでからは、ほぼ自己治癒だったのだが、診療明細書の「DPC包括評価点数」と言う輩の点数が突出して高い。これは何だ、とスマホで調べる。どうやら入院をすると、手術等を除いた医療処置は細かく点数計算せず、傷病ごとに日数計算をして点数を算定するようだ。たとえ、積極的な医療処置がなくとも。月またぎをせずに退院……は無理だっただろうが、それでもDPCについての理解があれば、退院についてもっと強く働きかける事ができたかもしれない。病院の事情は知らない。(個室の差額ベッド代(保険非適用)については、同意書を交わしていないので診療明細書への記載はなかった)

当該保険医療機関の入院に係る傷病名
傷病名: 腸管穿孔
     汎発性腹膜炎

また実のところ、どうして入院したのかが謎であった。腸に穴が開いていたようだが、実際には破れてふさがった形跡があったようなので、開腹手術をする必要――傷を遺す必要があったのだろうか。そもそもがこの入院、手術の傷を癒やすために入れられていたんじゃないか、と疑問に思っていたのだ。しかし退院証明書に書かれてある腹膜炎と言うのは、スマホ先生によると、穿孔による重い合併症のようで、重い腹痛が生じるようだ。間違いなく穴は一度空いていて、どちらにせよ手術と入院の必要はあったのだ。

そして腹帯を腹に抱え、腹痛の波も過ぎ去った中、母と共に病院を後にしたのだった。

母には「大丈夫」だと再三伝え、その日の内に別れ、サプリメントも、その日の内から飲み始める。確かに、脳にはブレない安定感が根付くのだが、食後はどうにも不安になる気がする。また入院して、丁寧な保護・看護で不安を和らいでほしいと切に願うのだ。数日そんな状態が続いたので仕方なく、パントテン酸(ビタミンB5)500mg×2錠を、また食後に飲むようにする。すると不安感とはほぼ無縁になる。これは不安・ストレス効果、他サプリメントとの相乗効果があり、特に過剰摂取リスクがある栄養成分でもないが、目安量は10mgにも満たないので、いったんは外していた次第だった。これで、1日34錠16種には増えてしまう。

数日後の外来日。もはや腹痛とは無縁となっていて、自転車で大病院へと向かう。外出をした日は必ず外食するようにしているため、サンプラボトル20mlに食後サプリ(1回8錠7種+病院から出された薬1錠1種+外出時だけ任意タイミングで飲む疲労予防サプリ2錠1種)を入れて携えていたので、先生に初めて実物を見せるのだが、開口一番に「多すぎ!」と驚かれ、立て続けに「飲まなくていい。他に飲んでる人居ない」「手術で見た物も、形状は似たような物だった」「もうちょっと歳を取ってから――」といさめられ、入院時とは打って変わり、決して許容はしてくれない。先生の隣の女性看護師も「すごい……」と苦笑している。「それが原因になったかもしれないんだから――」それでも、先生はサプリメントが原因だとは断言しない。この日、腹部の経過観察によって再外来する事となり、薬もそれまでの分が出たのだったが、1カ月後という余裕のある期間であった。

大丈夫。まだ、1日34錠16種だ。この程度のサプリメントユーザーはネット上なら居る上、腸管穿孔の報告なんて早々ない。何も1回量でもない。
大丈夫。食事自体も、一部だけで宅配弁当を始める。サプリメントも、これ以上は増やさないようにする。
大丈夫。そもそも、懲りずに115錠26種を続けたとして、早々に腸管穿孔なんてするだろうか。こんな事で穿孔したのは、俺の体質――いや、無関係の部分の運が原因だったのではないだろうか。

きっと、大丈夫。